活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

02-6 和字書体「まどか」のよりどころ

原資料:『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年) 青山進行堂活版製造所は創業20年を記念して『富多無可思』(1909年)を発行した。約300ページにもおよぶ線装(袋とじ)の記念誌である。 この記念誌の青山安吉(1865—1926)による「自叙」は四号楷…

02-5 和字書体「はなぶさ」のよりどころ

原資料:『少年工芸文庫第八編 活版の部』(博文館、1902年) 『少年工芸文庫』は全一二冊発行されている。著者の石井研堂(民司、1865—1943)は、民衆の立場から明治以来の日本の近代化を探求・記録した博物学者である。発売元の博文館は、明治時代には日本…

02-4 和字書体「さおとめ」のよりどころ

原資料:『尋常小學國語讀本 修正四版』(国光社、1901年) 西澤之助(1848—1929)は1888年(明治21年)に国光社を創立した。国光社は伝統的な女子教育の雑誌 『女鑑』 などで一定の地歩を占めるとともに、多くの教科書を発行している大手教科書会社でもあっ…

02-3 和字書体「かもめ」のよりどころ

原資料:『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年) 印書局は明治5年9月に創設されて、はじめは太政官正院の中におかれていた。明治7年に工部省製作寮所管の活版所(勧工寮が明治6年11月に廃止されて製作寮の所管に移る)を移管併合して、明治8年に大蔵…

02-2 和字書体「きざはし」のよりどころ

原資料:『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年) 上巻・下巻・附録の三冊からなっている。上巻は「山川之部」で、まず長崎地名の由来が書かれている。下巻は「旧蹟之部」で、諸役所・旧蹟及祠堂墓所にわけられる。諸役所には出島などが、旧蹟及祠…

02-1 和字書体「はやと」のよりどころ

原資料:『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉、吉岡書籍店、1889年) 小説家・尾崎紅葉(1876-1903)は東京の生まれで、本名を徳太郎、別号を十千万堂という。山田美妙らと硯友社を興し、『我楽多文庫』を発刊した。代表作に『金色夜叉』などがある。 尾崎紅葉の…

02 和字オールドスタイル

長崎製鉄所主任だった本木昌造は、ウィリアム・ガンブルを活版伝習所の技師長として招聘した。ここでは活字鋳造法と活字版印刷術全般にわたる技術を伝授した。これがわが国の活字版印刷術の基礎となった。 まもなく長崎製鉄所付属活版伝習所は解散し、その源…

01-5 和字書体「あおい」のよりどころ

原資料:『歩兵制律』(川本清一訳、1865年、陸軍所) 大鳥圭介(1833—1911)は岡山藩の閑谷学校、緒方洪庵の適塾、江川英敏の塾で学ぶ。開成所洋学教授として幕府に用いられ、ついで歩兵指図役頭取に登用される。戊辰戦争では榎本武揚と共に函館五稜郭で抵…

01-4 和字書体「さきがけ」のよりどころ

原資料:『仮字本末』(伴信友著、三書堂、1850年) 『仮字本末』は、伴信友(1773—1846)の遺稿をその子信近が校訂し、長沢伴雄(1806—1859)の序を添えたうえで、江戸・大坂・京都の書肆から刊行された。刊本は上巻之上、上巻之下、下巻、付録の合計四冊か…

01-3 和字書体「ひふみ」のよりどころ

原資料:『神字日文伝』(平田篤胤著、1824年) 『神字日文伝』は、上巻、下巻、付録からなる。1819年(文政2年)に成立した。漢字伝来以前に日本に文字が存在したと主張する。『神字日文伝』には一字一字が独立したひらがながみられる。もともとの版下は書…

01-2 和字書体「うえまつ」のよりどころ

原資料:『古事記伝二十二之巻』(本居宣長著、1803年) 『古事記伝』は本居宣長の著作で、植松有信(1758−1813)の板木彫刻による。このうち二十二之巻などの一部の巻は植松有信の筆耕(板下書)によるものである。植松有信は名古屋で板木師をしていて『古…

01-1 和字書体「もとい」のよりどころ

原資料:『字音假字用格』(本居宣長著、錢屋利兵衞ほか、1776年) 『字音假字用格』は、日本に伝来した漢字の字音に、いかなる和字をあてるのが正しいのかを、古文献の用例にもとづいて決定したものだ。京都の錢屋利兵衞によって1776年(安永5年)に刊行さ…

01 和字ドーンスタイル

和字書体の歴史とは、おもに文芸書をしるした「和様漢字+ひらがな」の系統と、おもに学術書をしるした「楷書漢字+カタカナ」の系統がある。前者は欧字書体のイタリック体もしくはスクリプト体に相当し、後者はローマン体に相当するものと考えられる。 この…

07A-3 和字書体「ゆかわ」のよりどころ

原資料:『富多無可思』(青山進行堂活版製造所)より南海堂行書体活字 湯川梧窓(享 1856—1924)は大阪で生まれた。幼時から書を学び、張旭、黄山谷その他古法帖によって研究して一家をなし、村田海石と並び称されたそうである。湯川梧窓が版下を制作した南…

07A-2 和字書体「ひさなが」のよりどころ

原資料:『作文独学大全』(多田省軒編、和田文宝堂、1894年) 江川活版製造所は、江川次之進(1851—1912)が創立した。1886年(明治19年)に著名な書家の久永其頴(多三郎)に版下の揮毫を依頼し、3、4年を費やして二号が、ついで五号活字が完成、ひきつづ…

07A-1 和字書体「いけはら」のよりどころ

原資料:『長崎新聞 第四號』(新街活版所、1873年) 本木昌造の新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。池原は長崎の池原香祗の二男として生まれた。実兄の池原枳園は書家…

07A 和字セミカーシヴ[金属活字版]

本木昌造が1870年(明治3年)に、新街私塾の一事業として創業したのが新街活版所である。その新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。 江川活版製造所は、福井県出身の江川…

07B-1 和字書体「いしぶみ」のよりどころ

原資料:「槙舎落合大人之碑」(1891年頃、雑司が谷霊園) 全国には多くの墓碑があるにもかかわらず、行書体の完全碑はほとんど見ることがない。数少ない例が落合直澄〔なおずみ〕(1840—1891)の顕彰碑である「槙舎落合大人〔うし〕之碑」(雑司が谷霊園1…

07B 和字セミカーシヴ[碑刻の書体]

明治時代には建碑も盛況で、日下部明鶴〔くさかべめいかく〕(1838−1922)は全国に1000基もの碑文を書いたといわれているなど、多くの名だたる書家が携わっている。1893年(明治26年)ごろからは、田鶴年〔でんかくねん〕、広群鶴〔こうぐんかく〕、窪世升〔…

06B-4 和字書体「えど」のよりどころ

原資料:『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦、1829年—1842年) 柳亭種彦(1783—1842)は江戸後期の戯作者である。江戸の人で、本名を高屋知久〔たかやともひさ〕、通称を彦四郎という。はじめ読本〔よみほん〕を発表、のち合巻〔ごうかん〕に転じた。 『偐紫〔にせ…

06B-3 和字書体「すずり」のよりどころ

原資料:『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年) 本居宣長の著書で、版木彫刻によるものである。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものである。 古文とは変わって近世の歌文が聞き慣れなくなっ…

06B-2 和字書体「なにわ」のよりどころ

原資料:『曾根崎心中』(近松門左衛門、1703年) 近松門左衛門(1653—1724)は、江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者である。坂田藤十郎(1647—1709)のために脚本を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招いた。また、竹本義太夫(1651—1714)のために…

06B-1 和字書体「げんろく」のよりどころ

原資料:『世間胸算用』(井原西鶴、1692年) 井原西鶴(1642—1693)は小説の流行作家としてつぎつぎに傑作を発表した。西鶴の作品のいずれもが、元禄の町人や武士の実生活の様相を見すえた作品である。特に晩年から没後の遺稿では、経済社会の夢と現実の落…

06B 和字カーシヴ[木版(整版)・近世活字版]

江戸時代の民間出版社による文学系の書物は、木版印刷によって製作された。彫刻によるアウトラインの単純化と力強さが顕著に見られる。 仮名草子・浮世草子・八文字屋本 元禄文化を中心とした江戸時代前期では、仮名草子・浮世草子・八文字屋本がある。仮名…

06A-2 和字書体「さがの」のよりどころ

原資料:『伊勢物語』(1608年)嵯峨本 角倉素庵(与一 1571−1632)は、希代の事業家・角倉了以の長男である。父の事業を継いで海外貿易・土木事業を推進した素庵は、また文化人としても卓越した業績を残している。晩年になって嵯峨に隠棲した素庵は、数多く…

06A-1 和字書体「ばてれん」のよりどころ

原資料:『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)キリシタン版 長崎が開港した翌年の1571年(元亀2年)、岬の突端には「岬の教会」とも称されたサン・パウロ教会が建立された。この教会は1601年(慶長6年)に、当時の長崎で一番大きい「被昇天の聖母教会」に建て直…

06A 和字カーシヴ[古活字版]

安土桃山時代は、長い戦国争乱の状態から急速に統一が達成され、自由闊達な人間中心の文化が展開した。雄大な城郭・社寺などが造営され、内部を飾る華麗な障屏画が描かれる一方、民衆の生活を題材とした風俗画のジャンルが確立している。 寛永年間(1624—164…

10-4 和字書体「さよひめ」のよりどころ

原資料:『さよひめ』(作者不詳、室町後期?、奈良絵本) 室町時代から江戸初期に流行した物語類は御伽草子あるいは室町物語ともいわれるが、その一部は挿絵入りの短編物語の「奈良絵本」の形で伝来している。「奈良絵本」は、嫁入り本とも呼ばれる。奈良絵…

10-3 和字書体「たかさご」のよりどころ

原資料:『風姿花伝』写本(世阿弥元清著、室町前期?、金春本) 室町時代には芸能が豊かな展開をみせて、伝統として受け継がれるような成熟に到達した。芸能とは人間の身体で表現する技法と型の伝承をいい、歌謡・舞踊・演劇などが代表的なものだ。 平安時…

10-2 和字書体「やぶさめ」のよりどころ

原資料:『更級日記』写本(菅原孝標女著、1230年?、御物・藤原定家筆) 鎌倉幕府が成立して政治権力は鎌倉に移動した。そうなると京都は文化の担い手としての公家の都となり、また高度な技術を伝える職人の町にもなった。公家はその文化面の専門性をたかめ…