活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

10E 行書体 

行書は日常的な書写体として広く通用している。教育の場においても中学国語の書写分野で行書の毛筆・硬筆による書写が取り上げられている。 行書は隷書の走り書きからはじまった。草書に比べて厳格な書体、真書に対して柔軟な書体という感覚的な違いで大まか…

10C-1 漢字書体「詩草」のよりどころ

原資料 懐素(生没年不詳)の『草書千字文』 懐素(生没年不詳)の『草書千字文』は帛に書かれたものだ。この千字文は懐素の最晩年のもので、一字には一金の価値があるということから「千金帖」ともいわれている。懐素は中国・唐の書家であり僧でもある。

10C 草書体

草書は隷書を早書きしてできたものである。下書きとか個人的なメモの類のためのもので、本来は公式の場では使われない。 中国・唐代(618—907)においては、楷書(真書)が多くの能書家を輩出し頂点に達したといわれるが、草書もまた発展しており、独草体か…

10B-2 漢字書体「月光」のよりどころ

原資料:『河岳英霊集』(1878年、中国・国家図書館蔵) 中国・同治年間(1862−1874)に設立された官書局によって刊行された刊本は、おもに考証学と碑学の研究者によって主導されたので、文章の考証も厳格におこなわれた。 その牌記には、碑文などに印された…

10B-1 漢字書体「洛陽」のよりどころ

原資料:『熹平石経』(173年 中国・西安碑林博物館蔵) 石経とは石に刻した経典をいう。173年(熹平4)に東漢の霊帝が今まで伝えられた経書の標準のテキストを定めたのが「熹平石経」である。その書風は点画の太細の変化も波法の強調はなく、書法芸術として…

10B 隷書体

漢は、中国古代の王朝である。前202年、高祖劉邦〔りゅうほう〕が建国した。長安を都とする西漢(前202—8)と洛陽を都とする東漢(25—220)とに分かれる。両者の間に、王莽〔おうもう〕が建国した新による中断がある。 隷書体という名称は、秦時代の公式書体…

10A-1 漢字書体「泰山」のよりどころ

原資料 『泰山刻石』(前219年) 泰山は中国の山東省中部にある名山である。標高1,524mで、中国五岳のひとつにかぞえられる。中国全土を統一した始皇帝は、全国を巡視してその威風をしめすとともに名の知られた山に登っては遠望して神を祭った。とくに泰山で…

10A 篆書体

中国・秦代(前221—前207)には、始皇帝(前259—前210)が字体の統一を重要な政策として取り上げ、古文(甲骨文・金石文)を基礎として篆書を制定し、これを公式書体とした。古文を大篆というのにたいして、始皇帝の制定したものを小篆ということもある。 泰…

0-3 六書の形成

「文」と「字」の制作段階は、「六書」という表現でまとめられる。六書とは、漢字の成り立ちと使い方の基本的な原則で、象形・指事・会意・形声・転注・仮借という六種類がある。このうち、転注・仮借は、漢字の使い方に関する原則である。 [象形] 象形と…

0-2 文と字と

膨大な字数の漢字だが、大きく分けると「文」と「字」になる。「文」は、これ以上分解できない単体の文字、「字」は、「文」を組み合わせて作られた複体のものをさしている。最初に「文」が作られて、それを基にして「字」が作られたとされる。全部合わせて…

0-1 漢字誕生

[甲骨文] 甲骨文は、亀の甲や牛の骨に刻んだ文字である。商時代の人々は、日常の全ての行為と現象に対してまず占いをおこなった。そこにあらわれた「ひび割れの形」で神の返答を判断した。その甲や骨には「いつ誰がどのようなことを占ったのか」を文字で刻…