活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の収穫祭』

07B 和字セミカーシヴ[碑刻の書体]

明治時代には建碑も盛況で、日下部明鶴〔くさかべめいかく〕(1838−1922)は全国に1000基もの碑文を書いたといわれているなど、多くの名だたる書家が携わっている。1893年明治26年)ごろからは、田鶴年〔でんかくねん〕、広群鶴〔こうぐんかく〕、窪世升〔くぼせいしょう〕、井亀泉〔せいきせん〕、宮亀年〔みやきねん〕といった字彫専門の石工もあらわれた。

石碑には題額または碑題と碑文を備えた「完全碑」と、墓石や道標のように碑題が独立したり、句碑や歌碑のように碑文が独立したりした「不完全碑」にわけられる。碑刻の基礎を知るのはやはり「完全碑」を見るのがよいとされている。

 

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「槙舎落合大人之碑」(1891年頃、雑司が谷霊園