活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

03-1 漢字書体「武英」のよりどころ

原資料:『古今図書集成』(1726年 武英殿) 『古今図書集成』は、中国・清朝の康熙帝(在位:1662−1722)が、陳夢雷(1651−1741)等に命じて編纂を開始した。古今の図書から抜き出した事項を類別し配列されている。 陳夢雷は、中国・清朝の学者である。字を…

03 過渡期明朝体

紫禁城(故宮)は、北京にある世界最大級の宮殿の遺構である。現在は、博物館(故宮博物院)になっており、世界文化遺産(文化遺産)に登録されている。 故宮博物院の西南部に位置する武英殿は、2005年10月から見学できるようになった。歴代の絵画、書、古籍…

05-3 漢字書体「重陽」のよりどころ

原資料:『論語』(1935年、満州国文教部) 漢文正楷印書局は、中華書局の美術部主任だった鄭昶(1894−1952)が友人たちと、1929年から準備し1932年に設立した会社である。 鄭昶は字を午昌、号を弱龕という。中華書局の美術部主任をつとめたのち、漢文正楷印…

05-2 漢字書体「蛍雪」のよりどころ

原資料:『欽定全唐文』(1814年 揚州詩局) 嘉慶帝の敕命により董誥(1740−1818)らが編纂した唐・五代散文の総集である『欽定全唐文』が、1814年(嘉慶19年)に揚州詩局から刊行されている。この『欽定全唐文』の字様は、運筆が形式化されて活気がないと批…

05-1 漢字書体「熱河」のよりどころ

原資料:『御製文集』(1711年 武英殿) 初期の武英殿刊本においては、康煕帝の書のままを忠実に彫らせていた。その代表例が『御製文集』である。 『御製文集』は、康煕帝の撰、張玉書らの奉勅編である。撰とは「著述した」ということ、奉勅編とは「皇帝の命…

05 清朝体

中国・清王朝(1616−1912)は、中国最後の統一王朝である。女真族(のちに満洲族に改称)の弩爾哈斉〔ヌルハチ〕(1559−1626)が明を滅ぼし国号を後金として建国、皇太極〔ホンタイジ〕のときに国号が清と改称された。首都は盛京(瀋陽)であった。 順治帝の…

02-4 漢字書体「嘉興」のよりどころ

原資料:『嘉興蔵』(1589年 楞厳寺) 明末の禅僧・紫柏真可(1543−1603)門下の密蔵道開によって、万暦年間に刻印事業が開始された方冊版大蔵経が、『嘉興蔵』(楞厳寺版)1,444冊である。密蔵道開らの発願により、1589年(萬暦17年)に嘉興府楞厳寺で開版…

02-3 漢字書体「毛晋」のよりどころ

原資料:『宋名家詞』(1626年−1644年 毛氏汲古閣) 明末清初の代表的蔵書家であり出版者として知られているのが毛晋(1599−1659)である。毛晋は江蘇省常熟の人で、字は子晋、号は潜在という。同郷の学者・詩人である銭謙益(1582−1664)に師事し、学問に励…

02-2 漢字書体「鳳翔」のよりどころ

原資料:『楽律全書』(1595年 鄭藩) 明代の藩王府の刊行した書物は、原稿、校正、彫版、印刷などの品質が高かったが、なかでも鄭藩世子・朱載堉(しゅさいいく 1536−?)が刊行した音楽の著作『楽律全書』は、藩刻本の代表作のひとつである。 朱載堉は字を…

02-1 漢字書体「金陵」のよりどころ

原資料:『南斉書』(1588年−1589年 南京国子監) 南京国子監が出版した刊本を南監本と呼ぶ。南京国子監で刊行された書物のうち代表的なものとしては『二十一史』と『十三経』があげられる。 二十一史というのは中国の歴代の正史21書で、史記・漢書・後漢書…

02 明朝体

中国・明王朝は、朱元璋(1328—1398)が蒙古族の元王朝をたおして、現在の南京に建朝した。朱元璋は明王朝の初代皇帝で、洪武帝(太祖)ともいう。洪武帝の第四子・朱棣(1360—1424)は現在の北京に燕王として封じられていたが、南京を攻略して第三代皇帝、…

06-1 漢字書体「蛍雪」のよりどころ

原資料:『分類補註李太白詩』(1310年 勤有書堂) 『分類補註李太白詩』は趙子昂(1254−1322)の書風によるとされる脈絡を残した書体である。元時代の福建刊本の特徴がよくあらわれている。この勤有書堂の刊本字様が典型的な元朝体である。 この書物は、李…

06 元朝体

元はモンゴル(蒙古)帝国第五代皇帝の忽必烈〔フビライ〕が1271年に建国した。首都は大都(現在の北京)である。のちに南宋を滅ぼして中国を統一し、高麗〔こうらい〕(朝鮮半島)・安南(ベトナム中部)・タイ・ビルマなどをも従えて大帝国を築いたが、136…

01-5 漢字書体「七夕」のよりどころ

原資料 『唐確慎公集』(中華書局、1921) 1916年に丁善之と丁輔之の兄弟が聚珍倣宋版活字を製作し、丁輔之によって聚珍倣宋印書局が設立された。聚珍倣宋印書局は1921年に中華書局に吸収合併され、そのさいに聚珍倣宋版活字の権利も中華書局に譲渡された。 …

01-4 漢字書体「陳起」のよりどころ

原資料:『南宋羣賢小集』(1208−1264年 陳宅書籍鋪) 南宋の首都であった臨安城中の棚北大街には多くの書坊が建ち並んでいたといわれるが、そのなかでも陳起(生没年不詳)による陳宅書籍鋪が刊行した書物が注目をあびた。「臨安書棚本」とは、狭義には陳宅…

01-3 漢字書体「麻沙」のよりどころ

原資料:『音註河上公老子道経』(1193—1194年 台湾・国立故宮博物院蔵) 『老子道経』の注釈書としては、魏の王弼〔おうひつ〕(226—249)による『老子道徳経注』と、漢の河上公〔かじょうこう〕によるものとされる『老子河上公注』がある。 麻沙鎮で出版さ…

01-2 漢字書体「龍爪」のよりどころ

原資料:『周礼』(1163—1189年 静嘉堂文庫蔵) 『周礼』は中国の儒教教典のひとつである。周王朝の官制を天地春夏秋冬の六官に分けて記述したものである。六官とは冢宰〔ちようさい〕・司徒・宗伯・司馬・司寇〔しこう〕・司空であるが、そのうち冬官は失わ…

01-1 漢字書体「西湖」のよりどころ

原資料:『姓解』(1038年−1059年 国立国会図書館蔵) 『姓解』は伝本の稀な北宋刊本の中の一つである。中国古来の姓氏2,568氏を、170部門に分けて配列し、姓の起源・著名人・掲載書をあげ、発音をしるす字書となっている。 『姓解』は中国にも所在を見ない…

01 宋朝体

中国・宋は、後周の節度使(軍職)であった趙匡胤〔ちょうきょういん〕が、後周のあとを承けて960年に建国した。忭京〔べんけい〕(開封〔かいほう〕)を都とし、文治主義による君主独裁制を樹立した。 1129年、金の侵入により江南に移り、都を臨安に置いた…

10F-2 漢字書体「林佶」のよりどころ

原資料:『漁洋山人精華録』(1700年) 林佶(1660—1722)は清代の書家である。篆書、隷書、楷書、また篆刻を能くするということである。1712年(康熙51年)に進士となり、のち内閣中書になった。林佶による私刊本はよく知られている。『漁洋山人精華録』の…

10F-1 漢字書体「開成」のよりどころ

原資料:『開成石経』(837年 西安碑林博物館蔵) 西安碑林博物館の第一展示室には高さ2mの『開成石経』の石碑が114基保存されている。開成石経は唐の文宗皇帝・李昂が命じ、830年(大和4年)から837年(開成2年)までに艾居晦らの写字生によって真書で刻ま…

10F 楷書体

楷書は、草書と同様に隷書から発展したものだが、草書が簡単で速く書けることを求めたのに対し、謹厳で荘重な書体として発達した。楷書は、公式的な文書で使われる書体である。 楷の木は桧に似たウルシ科の常緑高木である。中国の曲阜の孔子廟に子貢が自ら植…

08B 経典体

中国の印刷の初期において、仏教経典・儒教経典で用いられたのは荘厳で権威的なイメージのある肉太の真書体字様であった。これを「経典体」ということにする。 仏教経典の印刷は唐代から行われており、時代と地域を越えて、経典の形態、字様、版式に大きな変…

09B 銘石体

漢王朝のあとに中国を統一したのは晋王朝であるが、三国時代と南北朝時代にはさまれて、我々の意識の中では埋没しているようだ。東漢の滅亡後、280年の晋の統一まで、魏・蜀・呉の三国が天下を三分し、互いに抗争した時代を「三国時代」という。晋は三国のう…

07-1 漢字書体「臨泉」のよりどころ

原資料:『御家千字文』(1814年 江戸書林) 御家流臨泉堂(生没年不詳)書による『御家千字文』(一八一四年 江戸書林)と趙子昂の『行書千字文』を比較してみると、一見しただけでまったく別のものであることがわかる。御家流のもっとも大きな特徴は、Sを…

07 和様体(日本独自の書写体)

平安中期に「ひらがな」が成立すると漢字もまた和様化がすすんだ。和様体とは中国(隋・唐)から伝来した真書(楷書)・行書・草書とはことなった日本固有の書体である。平安中期の藤原行成の子孫によって継承された書法の流派「世尊寺〔せそんじ〕流」、平…

10E-2 漢字書体「花信」のよりどころ

原資料:『菊譜』(1758年、中国・国家図書館蔵) 『菊譜』は、趙子昂の書風にちかい流麗な行書風の書体で印刷されている。この書体は、静的なバランスをとって書かれており、全体を湾曲させたり、中心線を移動させたりというような工夫は見受けられない。ま…

10E-1 漢字書体「聖世」のよりどころ

原資料:『集王聖教序碑』(672年 中国・西安碑林博物館蔵) 集王聖教序は672年に碑刻され、長安(現在の西安)の弘福寺内に置かれた。いまは西安碑林にある。三蔵法師玄奘の翻訳完成を記念して、僧・懐仁が王羲之の行書筆跡から一文字一文字集めて文をつく…