活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

07A-1 和字書体「いけはら」のよりどころ

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原資料:『長崎新聞 第四號』(新街活版所、1873年

本木昌造の新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。池原は長崎の池原香祗の二男として生まれた。実兄の池原枳園は書家として知られる。

池原は国学者で眼科医の上田及淵、儒学者で書家の仁科白谷に師事し、また吉田松陰とも関わり朝廷を崇拝し勤王を唱えた。また商工業を奨励したという。

池原は26歳で眼科医を開業、本木昌造とは長崎の歌壇の仲間であった。薩摩藩の重野安繹が上海より輸入しながら放置されていた活字と印刷機本木昌造に紹介したということからも、活字や印刷にも関心を寄せていたことがうかがえる。

 

活字書体「いけはらM」

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