活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

はじめに キャピタルとミナスキュール

インペリアル・キャピタル(Imperial capital) ローマ帝国の碑文書体 ローマ帝国は、紀元前8世紀ごろ、ラテン人がイタリア半島のテベレ川下流域に建てた古代都市国家にはじまる。紀元前272年イタリア半島を統一し、ポエニ戦争に勝利して地中海沿岸一帯を支…

09A-4 和字書体「くろふね」のよりどころ

原資料:『沿溝書体スタイルブック』(草間京平著、日本孔版文化の会、1952年) 草間京平(1902—1971)は東京・芸術倶楽部35号室に「黒船工房」の表札を掲げて、宮城三郎とともに謄写版印刷を本格的にはじめた。書写ゴシック体は、読売新聞の記者であった福…

09B-3 和字書体「めぐろ」のよりどころ

原資料:『センサスの経済学』(児島俊弘・関英二著、農林統計協会、1964年) 『センサスの経済学』は「1965年中間農業センサス副読本」とあるように、農業に関する統計調査の書物である。この書物にはゴシック体で組まれたページもある。本文の近代明朝体と…

09B-1 和字書体「ますらお」のよりどころ

原資料:『活字見本帳』(民友社活版製造所、1936年) 民友社活版製造所は1901年(明治34年)に初代渡辺宗七によって東京・銀座で創業された。渡辺宗七が徳富蘇峰と親交があったことから、民友社出版部、印刷部とも業務提携をしていた。出版を中心としていた…

09B 和字ゴシック(第2期)

用途の拡大 『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年)に掲載された藤田活版製造所の差し込み広告に、細ゴシック活字を見ることができる。六号と9ポイントには文章組の見本もあった。 写真植字機用文字盤としては、1933年(昭和12年)にすでに石井細…

09A-1 和字書体「くらもち」のよりどころ

原資料:『活版見本』(東京築地活版製造所、1903年) 東京築地活版製造所は1903年(明治36年)11月1日に、わが国の活字版印刷史上最大規模の438ページにもおよぶ見本帳を発行した。この見本帳の編輯兼発行者は第5代目社長の野村宗十郎(1857—1925)である。…

09A-3 和字書体「くれたけ」のよりどころ

原資料:『活版総覧』(森川龍文堂活版製造所、1933年) 森川龍文堂は1902年(明治35年)1月、森川竹次郎によって大阪に創業された金属活字鋳造と印刷機器販売をおこなう会社であった。森川健市が第二代社長に就任して、昭和初期には『活版総覧』などの活字…

09A-2 和字書体「はるか」のよりどころ

原資料:『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年) 『活字と機械』は、その名のとおり活字と機械の両面から大正初期におけるタイポグラフィを紹介した小冊子である。この小冊子に五號ゴチックなどの和字書体が掲載されていた。築地体の…

09A 和字ゴシック・第1期

欧字書体としてのゴシック(Gothic)は、『活版様式』(平野活版製造所、1877年)にあらわれている。サンセリフと呼ばれるカテゴリーに属する書体である。『活版様式』にはアンチック(Antique)という書体も掲載されている。 漢字書体としてのゴシック体で…

08-3 和字書体「ことのは」のよりどころ

原資料:『辞苑』(新村出編、博文館、1935年) 『広辞苑』以前に、新村出(1876−1967)の編著で『辞苑』という国語辞典が1935年(昭和10年)に発刊されていた。この『辞苑』は博文館から出版され、大ベストセラーとなっていた。『辞苑』には、見出し語にア…

08-2 和字書体「たまゆら」のよりどころ

原資料:『言海』(大槻文彦著、六合館、1931年) 『言海』は、大槻文彦(1847−1928)の著した国語辞典である。1875年(明治8年)に編纂を開始、1891年(明治24年)に刊行された。最初は四六倍判の四分冊として出版され、その後、一冊本や二冊(上・下)本、…

08-1 和字書体「みなもと」のよりどころ

原資料:『新撰讃美歌』(植村正久・奥野昌綱・松山高吉編輯、警醒社、1888年) 『新撰讃美歌』には、『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)および『富多無可思』(青山進行堂、1909年)に掲載された漢字書体の「五號アンチック形」と同一の書体が使わ…

08 和字アンチック

欧字書体としてのアンチック(Antique)は、『活版様式』(平野活版製造所、1877年)にあらわれている。スラブセリフと呼ばれるカテゴリーに属する書体である。『活版様式』にはゴシック(Gothic)という書体も掲載されている。 漢字書体としてのアンチック…

05-4 和字書体「しおり」のよりどころ

原資料:『小學國語讀本 巻八』(文部省、1939年、東京書籍) 井上千圃(高太郎、1872?—1940)は、大正時代の後半から国定教科書の木版の版下を一手に引き受けており、従来との一貫性をたもつということから文部省(現在の文部科学省)活字の版下も井上に依…

05-3 和字書体「さくらぎ」のよりどころ

原資料:『尋常小学修身書巻三』(東京書籍、1919年) 『尋常小學修身書 巻三』は、翻刻発行兼印刷者・東京書籍株式会社、発売所・株式会社国定教科書共同販売所となっている。「修身」の教科書で、二宮金次郎、本居宣長、上杉鷹山、徳川光圀、貝原益軒らが登…

05-2 和字書体「まなぶ」のよりどころ

原資料:『国文中学読本』(吉川半七、1892年) 尋常中学校国語科教科書である『国文中学読本』は、木版印刷で四つ目綴じになっている。 発行兼印刷者の吉川半七は、現在の吉川弘文館の創業者とされている人である。1863年(文久3年)に貸本業を営んでいた近…

05-1 和字書体「ふみて」のよりどころ

原資料:『啓蒙手習之文』(慶応義塾、1871年) 内田嘉一(晋斎、1846—1899)は、1868年(慶応4)閏4月15日に慶応義塾に入門し、そこで福沢諭吉の信頼を得て、福沢の著書の版下を依頼されるようになった。 福沢は1871年(明治4年)の初夏には『啓蒙手習之文…

06B-5 和字書体「まき」のよりどころ

原資料:『和英通韻以呂波便覧』(巻菱湖書、土佐・海援隊、1868年) 書方手本ではないが、幕末の三筆のひとりである巻菱湖の書いたひらがなを版下としたのが海援隊の初歩的英語教科書 『和英通韻伊呂波便覧』である。出版時に巻菱湖はすでに没しているので…

05 和字スクールブック

これまで見てきた「ひのもとのめばえ(和字ドーンスタイル)」・「ひのもとのいぶき(和字オールドスタイル)」・「ひのもとのさかえ(和字ニュースタイル)」・「ひのもとのゆたか(和字モダンスタイル)」とは、いわば彫刻系統の書体だといえる。 これらと…

04-3 和字書体「うぐいす」のよりどころ

原資料:『九州タイムズ』(九州タイムズ社、1946年4月14日付) 新聞に扁平活字が本格的に使用されるようになったのは太平洋戦争がはじまった1941年(昭和16年)のようだ。それまでは一般書籍用と新聞用との区別はなく、多くは正体の書体が使われていた。 こ…

04-2 和字書体「めじろ」のよりどころ

原資料:『センサスの経済学』(児島俊弘・関英二著、農林統計協会、1964年) 『センサスの経済学』は「1965年中間農業センサス副読本」とある。農業に関する統計調査の書物である。 そこに現れた本文の書体は、まさに昭和30年代の、高度成長期をイメージさ…

04-1 和字書体「ひばり」のよりどころ

原資料:『死を開く扉』(高木彬光著、浪速書房、1959年) 『死を開く扉』は、亨有堂印刷で印刷されている。 日本の三大名探偵とは、江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助と、あとひとりは高木彬光の神津恭介だ。テレビ朝日の2時間サスペンスの「…

04 和字モダンスタイル

『組みNOW』(写研、1976)の本文に使用されている和字書体は、橋本和夫(1935— )が設計したもので、「石井細明朝体横組用かな」として1970年に商品化されている。「石井細明朝体横組用かな」「石井細明朝体縦組用かな」は2書体あるかのようだが、4字ほ…

03-5 和字書体「みなみ」のよりどころ

原資料:『本邦活版開拓者の苦心』(津田三省堂、1934年) 活字鋳造会社の「津田三省堂」は1909年(明治42年)に名古屋において、津田伊三郎によって創業された。『本邦活版開拓者の苦心』は昭和九年に私家版として発行されたものだ。ここには本木昌造にはじ…

03-4 和字書体「あずま」のよりどころ

原資料:『東京今昔帖』(木村荘八著、東峰書房、1953年) 『東京今昔帖』は、東京の明和印刷で印刷されている。 木村荘八(1893−1958)は洋画家である。白馬会洋画研究所に学び岸田劉生とともに、1912年にフュウザン会の結成に参加した後期印象派以後の新美…

03-3 和字書体「ほくと」のよりどころ

原資料:『新考北海道史』(北方書院、1950年) 太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)までの約4年間、北海道では札幌市を中心として出版ブームがおこった。このときに北海道各地で刊行された文芸書や教養書を「札幌版」という。 太平洋戦…

03-2 和字書体「たいら」のよりどころ

原資料:『書物の世界』(朝日新聞社、1949年) 『書物の世界』は、京都の内外印刷で印刷・製本され、朝日新聞社から発行されている。欧文タイポグラフィの基本原理を日本文縦組みへの応用を著した書物である。鮮明な活字組み版と、堅牢な造本によって、それ…

03-1 和字書体「たおやめ」のよりどころ

原資料:『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年) 印刷出版研究所『日本印刷需要家年鑑』のなかに、「組版・印刷・川口印刷所 用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページが16ページほどある。印刷は川口印刷所だが、ここに使われている9pt活字の和…

03 和字ニュースタイル

東京築地活版製造所は1923年(大正10年)9月1日に首都圏を襲った関東大地震によって、社屋が倒壊炎上するなどのおおきな損害を受けた。この混乱もあって、東京築地活版製造所の活字書体は各社に流出した。 活字母型そのものを販売する業者もあらわれ、印刷会…

01-6 和字書体「にしき」のよりどころ

原資料:『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)より「第三號」ひらがな活字 本木昌造(1824—1875)は、1870年(明治3年)、武士への授産施設や普通教育の施設として新街新塾を設立、その一事業として、新街活版製造所を併設した。同年、小幡正蔵…