活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

10-2 和字書体「やぶさめ」のよりどころ

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原資料:『更級日記』写本(菅原孝標女著、1230年?、御物・藤原定家筆)

鎌倉幕府が成立して政治権力は鎌倉に移動した。そうなると京都は文化の担い手としての公家の都となり、また高度な技術を伝える職人の町にもなった。公家はその文化面の専門性をたかめて武家に対抗する権威をもとうとするようになり、それを家業として受け継ぐようになった。

公家文化を代表するもののひとつに和歌がある。和歌によって勝ち負けを競う「歌合わせ」が催されたが、その判定をくだす審査員は深い知識をもった専門歌人だった。

書写では、藤原行成の子孫による世尊寺流とともに、藤原忠通を祖とする法性寺流が流行した。鎌倉時代を代表する書風は法性寺流だが、藤原俊成藤原定家もこれを踏襲することはなく、それぞれが個性的な書風を確立した。

俊成書風は一代限りだったが、定家書風は茶人の間で愛好されて「定家様」といわれるようになった。

 

活字書体「やぶさめM」

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