活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

[和字]07 和字セミカーシヴ

07A-3 和字書体「ゆかわ」のよりどころ

原資料:『富多無可思』(青山進行堂活版製造所)より南海堂行書体活字 湯川梧窓(享 1856—1924)は大阪で生まれた。幼時から書を学び、張旭、黄山谷その他古法帖によって研究して一家をなし、村田海石と並び称されたそうである。湯川梧窓が版下を制作した南…

07A-2 和字書体「ひさなが」のよりどころ

原資料:『作文独学大全』(多田省軒編、和田文宝堂、1894年) 江川活版製造所は、江川次之進(1851—1912)が創立した。1886年(明治19年)に著名な書家の久永其頴(多三郎)に版下の揮毫を依頼し、3、4年を費やして二号が、ついで五号活字が完成、ひきつづ…

07A-1 和字書体「いけはら」のよりどころ

原資料:『長崎新聞 第四號』(新街活版所、1873年) 本木昌造の新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。池原は長崎の池原香祗の二男として生まれた。実兄の池原枳園は書家…

07A 和字セミカーシヴ[金属活字版]

本木昌造が1870年(明治3年)に、新街私塾の一事業として創業したのが新街活版所である。その新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。 江川活版製造所は、福井県出身の江川…

07B-1 和字書体「いしぶみ」のよりどころ

原資料:「槙舎落合大人之碑」(1891年頃、雑司が谷霊園) 全国には多くの墓碑があるにもかかわらず、行書体の完全碑はほとんど見ることがない。数少ない例が落合直澄〔なおずみ〕(1840—1891)の顕彰碑である「槙舎落合大人〔うし〕之碑」(雑司が谷霊園1…

07B 和字セミカーシヴ[碑刻の書体]

明治時代には建碑も盛況で、日下部明鶴〔くさかべめいかく〕(1838−1922)は全国に1000基もの碑文を書いたといわれているなど、多くの名だたる書家が携わっている。1893年(明治26年)ごろからは、田鶴年〔でんかくねん〕、広群鶴〔こうぐんかく〕、窪世升〔…