活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の収穫祭』

01 和字ドーンスタイル

和字書体の歴史とは、おもに文芸書をしるした「和様漢字+ひらがな」の系統と、おもに学術書をしるした「楷書漢字+カタカナ」の系統がある。前者は欧字書体のイタリック体もしくはスクリプト体に相当し、後者はローマン体に相当するものと考えられる。

この「楷書漢字+カタカナ」の系統において、カタカナとならぶ「ひらがな」が登場したとき、和字のローマン体が誕生したといえるだろう。それは国学蘭学の発展に関連すると思われる。

 一 国学

国学とは江戸中期におこった文献学的方法による古事記日本書紀万葉集などの古典研究の学問で、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたものである。契沖(1640—1701)を先駆とし、荷田春満(1669—1736)・賀茂真淵(1697—1769)・本居宣長(1730—1801)によって確立した。

契沖著『和字正濫鈔』は江戸前期の語学書である。平安中期の漢和辞書『倭名類聚鈔』以前の文献の仮名遣いを基準とし、ひらがなの正しい用法を示したものである。また文雄の『和字大観抄』は、江戸中期の語学書である。カタカナ・ひらがな・五十音図いろは歌・仮名遣いなど和字について説明したものだ。

本居宣長は江戸中期の国学者である。古道研究をこころざし、「古事記伝」の著述に30余年にわたって専心した。また、「てにをは」や用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めた。

香川景樹(1768—1843)、伴信友(1773—1846)、平田篤胤(1776—1843)、橘守部(1781—1849)を「天保の四大家」といっている。伴信友が歴史の研究、古典の考証にすぐれていたのにたいし、篤胤は宣長の古道精神を拡大強化、復古神道を鼓吹し、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。

 二 洋学系

洋学とは西洋の学問のことである。とくに蘭学とは江戸中期以降、オランダ語によって西洋の学術・文化を研究した学問だ。享保年間(1716—1736)、青木昆陽・野呂元丈の蘭書の訳読に始まり、前野良沢杉田玄白大槻玄沢ら多数の蘭学者が輩出、医学・天文学・暦学・兵学・物理学・化学など自然科学全般にわたった。

大鳥圭介(1833—1911)は、縄武館につとめていたとき、『築城典刑』『砲科新論』を翻訳して、独自の活字をもちいて出版することに着手した。大鳥は西洋の活字が便利だということを知って、独力で蘭書にもとづいていろいろ研究したそうだ。