活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

01-5 漢字書体「七夕」のよりどころ

 

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原資料 『唐確慎公集』(中華書局、1921)

1916年に丁善之と丁輔之の兄弟が聚珍倣宋版活字を製作し、丁輔之によって聚珍倣宋印書局が設立された。聚珍倣宋印書局は1921年に中華書局に吸収合併され、そのさいに聚珍倣宋版活字の権利も中華書局に譲渡された。

『唐確慎公集』の前付けには「丁輔之・監造」とある。中華書局においてもなお活字製造もしくは印刷の監督として丁輔之の名前がしるされている。

上海・中華書局の聚珍倣宋版など近代の宋朝体活字は、陳起の陳宅書籍鋪による「臨安書棚本」を源流としているようだ。聚珍倣宋版は、「臨安書棚本」に比べると、いちじるしく直線化がすすんでいる。これは、当時すでに普及していた近代明朝体活字の影響を受けたということかもしれない。

 わが国では名古屋・津田三省堂らが聚珍倣宋版を導入し「宋朝体」と名付けた。津田三省堂宋朝体には、縦横同じ幅の方宋体と、縦に細長い長宋体があった。長宋体の方が目新しい感じがあって、一般には喜ばれていたようである。ほかに上海・華豊制模鋳字所の真宋を大阪・森川龍文堂が導入した「龍宋体」などがある。