活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

05-3 漢字書体「重陽」のよりどころ

 

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原資料:『論語』(1935年、満州国文教部)

漢文正楷印書局は、中華書局の美術部主任だった鄭昶(1894−1952)が友人たちと、1929年から準備し1932年に設立した会社である。

鄭昶は字を午昌、号を弱龕という。中華書局の美術部主任をつとめたのち、漢文正楷印書局の社長となり、漢文正楷字模の制作を主導した。のちに杭州藝專、上海美專および新華藝專の教授を歴任、著書に『中國美術史』、『中國畫學全史』、『中國壁畫史』などがある。

漢文正楷字模活字の版下を描いたのは、中華書局で鄭昶と同僚であった高雲塍である。高雲塍は中華書局で出版する教科書の版下を描いていた人であった。彫刻は朱雲寿、許唐生、陸品生、鄭化生などが担当した。また、この活字の鋳造は張漢雲の漢雲活字鋳造所が担当したそうである。1929年に開始され、1933年9月に一号から五号までが完成されたといわれる。

漢文正楷字模活字の使用例として、『高級小学校論語』(1935年、満州国文教部)があげられる。

漢文正楷書局は日中戦争中に経営困難になったが、その後も存続された。1950年代に国営化され、のちに求古斎鋳字所とともに華豊印刷鋳字所に合併された。華豊印刷鋳字所は1966年に「上海字模一廠」と改組されている。