活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

2014-01-01から1年間の記事一覧

05-2 和字書体「まなぶ」のよりどころ

原資料:『国文中学読本』(吉川半七、1892年) 尋常中学校国語科教科書である『国文中学読本』は、木版印刷で四つ目綴じになっている。 発行兼印刷者の吉川半七は、現在の吉川弘文館の創業者とされている人である。1863年(文久3年)に貸本業を営んでいた近…

05-1 和字書体「ふみて」のよりどころ

原資料:『啓蒙手習之文』(慶応義塾、1871年) 内田嘉一(晋斎、1846—1899)は、1868年(慶応4)閏4月15日に慶応義塾に入門し、そこで福沢諭吉の信頼を得て、福沢の著書の版下を依頼されるようになった。 福沢は1871年(明治4年)の初夏には『啓蒙手習之文…

06B-5 和字書体「まき」のよりどころ

原資料:『和英通韻以呂波便覧』(巻菱湖書、土佐・海援隊、1868年) 書方手本ではないが、幕末の三筆のひとりである巻菱湖の書いたひらがなを版下としたのが海援隊の初歩的英語教科書 『和英通韻伊呂波便覧』である。出版時に巻菱湖はすでに没しているので…

05 和字スクールブック

これまで見てきた「ひのもとのめばえ(和字ドーンスタイル)」・「ひのもとのいぶき(和字オールドスタイル)」・「ひのもとのさかえ(和字ニュースタイル)」・「ひのもとのゆたか(和字モダンスタイル)」とは、いわば彫刻系統の書体だといえる。 これらと…

04-3 和字書体「うぐいす」のよりどころ

原資料:『九州タイムズ』(九州タイムズ社、1946年4月14日付) 新聞に扁平活字が本格的に使用されるようになったのは太平洋戦争がはじまった1941年(昭和16年)のようだ。それまでは一般書籍用と新聞用との区別はなく、多くは正体の書体が使われていた。 こ…

04-2 和字書体「めじろ」のよりどころ

原資料:『センサスの経済学』(児島俊弘・関英二著、農林統計協会、1964年) 『センサスの経済学』は「1965年中間農業センサス副読本」とある。農業に関する統計調査の書物である。 そこに現れた本文の書体は、まさに昭和30年代の、高度成長期をイメージさ…

04-1 和字書体「ひばり」のよりどころ

原資料:『死を開く扉』(高木彬光著、浪速書房、1959年) 『死を開く扉』は、亨有堂印刷で印刷されている。 日本の三大名探偵とは、江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助と、あとひとりは高木彬光の神津恭介だ。テレビ朝日の2時間サスペンスの「…

04 和字モダンスタイル

『組みNOW』(写研、1976)の本文に使用されている和字書体は、橋本和夫(1935— )が設計したもので、「石井細明朝体横組用かな」として1970年に商品化されている。「石井細明朝体横組用かな」「石井細明朝体縦組用かな」は2書体あるかのようだが、4字ほ…

03-5 和字書体「みなみ」のよりどころ

原資料:『本邦活版開拓者の苦心』(津田三省堂、1934年) 活字鋳造会社の「津田三省堂」は1909年(明治42年)に名古屋において、津田伊三郎によって創業された。『本邦活版開拓者の苦心』は昭和九年に私家版として発行されたものだ。ここには本木昌造にはじ…

03-4 和字書体「あずま」のよりどころ

原資料:『東京今昔帖』(木村荘八著、東峰書房、1953年) 『東京今昔帖』は、東京の明和印刷で印刷されている。 木村荘八(1893−1958)は洋画家である。白馬会洋画研究所に学び岸田劉生とともに、1912年にフュウザン会の結成に参加した後期印象派以後の新美…

03-3 和字書体「ほくと」のよりどころ

原資料:『新考北海道史』(北方書院、1950年) 太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)までの約4年間、北海道では札幌市を中心として出版ブームがおこった。このときに北海道各地で刊行された文芸書や教養書を「札幌版」という。 太平洋戦…

03-2 和字書体「たいら」のよりどころ

原資料:『書物の世界』(朝日新聞社、1949年) 『書物の世界』は、京都の内外印刷で印刷・製本され、朝日新聞社から発行されている。欧文タイポグラフィの基本原理を日本文縦組みへの応用を著した書物である。鮮明な活字組み版と、堅牢な造本によって、それ…

03-1 和字書体「たおやめ」のよりどころ

原資料:『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年) 印刷出版研究所『日本印刷需要家年鑑』のなかに、「組版・印刷・川口印刷所 用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページが16ページほどある。印刷は川口印刷所だが、ここに使われている9pt活字の和…

03 和字ニュースタイル

東京築地活版製造所は1923年(大正10年)9月1日に首都圏を襲った関東大地震によって、社屋が倒壊炎上するなどのおおきな損害を受けた。この混乱もあって、東京築地活版製造所の活字書体は各社に流出した。 活字母型そのものを販売する業者もあらわれ、印刷会…

01-6 和字書体「にしき」のよりどころ

原資料:『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)より「第三號」ひらがな活字 本木昌造(1824—1875)は、1870年(明治3年)、武士への授産施設や普通教育の施設として新街新塾を設立、その一事業として、新街活版製造所を併設した。同年、小幡正蔵…

02-6 和字書体「まどか」のよりどころ

原資料:『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年) 青山進行堂活版製造所は創業20年を記念して『富多無可思』(1909年)を発行した。約300ページにもおよぶ線装(袋とじ)の記念誌である。 この記念誌の青山安吉(1865—1926)による「自叙」は四号楷…

02-5 和字書体「はなぶさ」のよりどころ

原資料:『少年工芸文庫第八編 活版の部』(博文館、1902年) 『少年工芸文庫』は全一二冊発行されている。著者の石井研堂(民司、1865—1943)は、民衆の立場から明治以来の日本の近代化を探求・記録した博物学者である。発売元の博文館は、明治時代には日本…

02-4 和字書体「さおとめ」のよりどころ

原資料:『尋常小學國語讀本 修正四版』(国光社、1901年) 西澤之助(1848—1929)は1888年(明治21年)に国光社を創立した。国光社は伝統的な女子教育の雑誌 『女鑑』 などで一定の地歩を占めるとともに、多くの教科書を発行している大手教科書会社でもあっ…

02-3 和字書体「かもめ」のよりどころ

原資料:『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年) 印書局は明治5年9月に創設されて、はじめは太政官正院の中におかれていた。明治7年に工部省製作寮所管の活版所(勧工寮が明治6年11月に廃止されて製作寮の所管に移る)を移管併合して、明治8年に大蔵…

02-2 和字書体「きざはし」のよりどころ

原資料:『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年) 上巻・下巻・附録の三冊からなっている。上巻は「山川之部」で、まず長崎地名の由来が書かれている。下巻は「旧蹟之部」で、諸役所・旧蹟及祠堂墓所にわけられる。諸役所には出島などが、旧蹟及祠…

02-1 和字書体「はやと」のよりどころ

原資料:『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉、吉岡書籍店、1889年) 小説家・尾崎紅葉(1876-1903)は東京の生まれで、本名を徳太郎、別号を十千万堂という。山田美妙らと硯友社を興し、『我楽多文庫』を発刊した。代表作に『金色夜叉』などがある。 尾崎紅葉の…

02 和字オールドスタイル

長崎製鉄所主任だった本木昌造は、ウィリアム・ガンブルを活版伝習所の技師長として招聘した。ここでは活字鋳造法と活字版印刷術全般にわたる技術を伝授した。これがわが国の活字版印刷術の基礎となった。 まもなく長崎製鉄所付属活版伝習所は解散し、その源…

01-5 和字書体「あおい」のよりどころ

原資料:『歩兵制律』(川本清一訳、1865年、陸軍所) 大鳥圭介(1833—1911)は岡山藩の閑谷学校、緒方洪庵の適塾、江川英敏の塾で学ぶ。開成所洋学教授として幕府に用いられ、ついで歩兵指図役頭取に登用される。戊辰戦争では榎本武揚と共に函館五稜郭で抵…

01-4 和字書体「さきがけ」のよりどころ

原資料:『仮字本末』(伴信友著、三書堂、1850年) 『仮字本末』は、伴信友(1773—1846)の遺稿をその子信近が校訂し、長沢伴雄(1806—1859)の序を添えたうえで、江戸・大坂・京都の書肆から刊行された。刊本は上巻之上、上巻之下、下巻、付録の合計四冊か…

01-3 和字書体「ひふみ」のよりどころ

原資料:『神字日文伝』(平田篤胤著、1824年) 『神字日文伝』は、上巻、下巻、付録からなる。1819年(文政2年)に成立した。漢字伝来以前に日本に文字が存在したと主張する。『神字日文伝』には一字一字が独立したひらがながみられる。もともとの版下は書…

01-2 和字書体「うえまつ」のよりどころ

原資料:『古事記伝二十二之巻』(本居宣長著、1803年) 『古事記伝』は本居宣長の著作で、植松有信(1758−1813)の板木彫刻による。このうち二十二之巻などの一部の巻は植松有信の筆耕(板下書)によるものである。植松有信は名古屋で板木師をしていて『古…

01-1 和字書体「もとい」のよりどころ

原資料:『字音假字用格』(本居宣長著、錢屋利兵衞ほか、1776年) 『字音假字用格』は、日本に伝来した漢字の字音に、いかなる和字をあてるのが正しいのかを、古文献の用例にもとづいて決定したものだ。京都の錢屋利兵衞によって1776年(安永5年)に刊行さ…

01 和字ドーンスタイル

和字書体の歴史とは、おもに文芸書をしるした「和様漢字+ひらがな」の系統と、おもに学術書をしるした「楷書漢字+カタカナ」の系統がある。前者は欧字書体のイタリック体もしくはスクリプト体に相当し、後者はローマン体に相当するものと考えられる。 この…

07A-3 和字書体「ゆかわ」のよりどころ

原資料:『富多無可思』(青山進行堂活版製造所)より南海堂行書体活字 湯川梧窓(享 1856—1924)は大阪で生まれた。幼時から書を学び、張旭、黄山谷その他古法帖によって研究して一家をなし、村田海石と並び称されたそうである。湯川梧窓が版下を制作した南…

07A-2 和字書体「ひさなが」のよりどころ

原資料:『作文独学大全』(多田省軒編、和田文宝堂、1894年) 江川活版製造所は、江川次之進(1851—1912)が創立した。1886年(明治19年)に著名な書家の久永其頴(多三郎)に版下の揮毫を依頼し、3、4年を費やして二号が、ついで五号活字が完成、ひきつづ…