活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

04-3 和字書体「うぐいす」のよりどころ

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原資料:『九州タイムズ』(九州タイムズ社、1946年4月14日付)

新聞に扁平活字が本格的に使用されるようになったのは太平洋戦争がはじまった1941年(昭和16年)のようだ。それまでは一般書籍用と新聞用との区別はなく、多くは正体の書体が使われていた。

この変更のおもな要因は用紙事情の悪化によるものだ。質の悪い新聞用紙に膨大な情報量を詰め込まなければならなかった。当時は1行15字詰めで活字サイズも小さいものだったので、可読性をたもつためには抱懐をできるだけ大きくする必要があった。こうして扁平で抱懐を大きくした新聞用書体のスタイルが定着した。

太平洋戦争後には戦時中の新聞統制が行われていた暗い不自由な時代から一転して、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)の一連の新聞解放政策によって、全国各地で数多くの新聞が生まれた。これらは「新興紙」といわれ、その数は1,000紙以上といわれている。

福岡県では、朝日新聞系の「九州タイムズ」、毎日新聞系の「新九州」が夕刊専門紙として発行され、地元の西日本新聞社の支援をうけた「夕刊フクニチ」が発行された。しかしながら1949年(昭和24年)ごろになると、全国の新興紙の多くは休刊・廃刊に追い込まれた。「九州タイムズ」もまた姿を消している。

 

活字書体「ひらうぐいすM」

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