活字書体をつむぐ

Blog版『欣喜堂立志篇』/『欣喜堂而立篇』

01-6 和字書体「にしき」のよりどころ

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原資料:『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)より「第三號」ひらがな活字

本木昌造(1824—1875)は、1870年(明治3年)、武士への授産施設や普通教育の施設として新街新塾を設立、その一事業として、新街活版製造所を併設した。同年、小幡正蔵、酒井三蔵を送って大阪に支所を作り(後の大阪活版製造所)、1872年(明治5年)、小幡正蔵と平野富二を東京に派遣し、長崎新塾出張活版製造所を設立させた(後の平野活版製造所)。

平野富二(1846—1892)は、本木昌造の依嘱により、1872年(明治5年)に東京で長崎新塾出張活版製造所を設立、活字版印刷の企業としてのスタートをきった。長崎新塾出張活版製造所は平野活版製造所を経て、東京築地活版製造所へと大きく発展し、日本文化に貢献することになる。

『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)は、その最初の時期の活字見本帖である。この見本帖所収の「第三號」ひらがな活字は、野性的で硬質な書風である。

 

活字書体「にしきM」

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