活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

10E 行書体 

行書は日常的な書写体として広く通用している。教育の場においても中学国語の書写分野で行書の毛筆・硬筆による書写が取り上げられている。

行書は隷書の走り書きからはじまった。草書に比べて厳格な書体、真書に対して柔軟な書体という感覚的な違いで大まかに分類される。行書は草書ほどではないにせよいくぶんはや書きであり、真書ほどではないにせよ明快に判読できる。日常的な書体とする意識が強い。

古代中国では公務文書や祭礼用の文書にもちいられるなど、文書としては広く流布しているそうだが、碑文となると多くはない。唐の皇帝・太宗が書いた「晋祠銘」が現在知られるもっともはやい行書の碑文だそうだ。

隷書体のスタンダードとしての『熹平石経』、真書体のスタンダードとしての『開成石経』に匹敵する行書体のスタンダードとは何かを考えたとき、なかなかそれを見いだすことは困難だった。

数少ない行書碑のひとつ懐仁の『集王聖教序碑』は、もともと王羲之(307−365)の行書とはいえ、集字・編集したとなれば、書法芸術というよりタイポグラフィの手法にちかいものだといえる。また『般若心経』という仏典のひとつが含まれていることは、たんなる頌徳碑ではないということができる。

王羲之東晋の書家で、「書聖」と称される。その書は、古今第一とされ、行書「蘭亭序」、草書「十七帖」などが知られている。歴代の多くの書家が王羲之の影響を受けている。

中国・清朝康煕帝が明朝後期の董其昌の書を、乾隆帝元朝の趙子昴の書を正当な流派として愛好したためか、行書体による刊本も登場した。北京の春暉堂が刊行した『菊譜』(1758年 春暉堂 中国・北京国家図書館蔵)、春草堂が発行した『人参譜』(1758年)にも流麗な行書がつかわれている。