活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

10A 篆書体

中国・秦代(前221—前207)には、始皇帝(前259—前210)が字体の統一を重要な政策として取り上げ、古文(甲骨文・金石文)を基礎として篆書を制定し、これを公式書体とした。古文を大篆というのにたいして、始皇帝の制定したものを小篆ということもある。

泰山は中国の山東省中部にある名山である。標高1524mで、中国五岳のひとつにかぞえられる。中国全土を統一した始皇帝は、全国を巡視してその威風をしめすとともに名の知られた山に登っては遠望して神を祭った。とくに泰山では封禅の儀式をおこない、石に銘文を刻んで立てた。

これが『泰山刻石』(前219年)で、以来泰山は古来信仰の対象となり、秦・漢時代から歴代皇帝が封禅の儀式をおこなうようになった。なお始皇帝が残した刻石は全部で6刻石あり、宰相であった李斯(?—前210)の書であるといわれる。

 

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なお『説文解字』15巻は、東漢の許慎(58?—147?)の著で、中国最古の漢字字書である。許慎は隷書にもとづく字体解釈を批判し、秦の始皇帝の時代に李斯によって作られた小篆にもとづいて、小篆9,353、古文・籀文1,162を540部に分けて収め、六書の説によって、その形・音・義を解説した。

説文解字』とは「文を説き、字を解く」(単体文字と複体文字の意味を解き明かすという意味で、漢字を部首によって分類した現在の漢字字書の基本形態はここに始まる。この系統の字書の代表的なものとして清代の『康煕字典』があげられる。