活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

4 やまと 金属活字版

本木昌造が1870年(明治3年)に、新街私塾の一事業として創業したのが新街活版所である。その新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉(1830—1884)といわれている。

 江川活版製造所は、福井県出身の江川次之進(1851—1912)が創立した。1883年(明治16年)に活字の自家鋳造を開始するために、もと東京築地活版製造所の種字彫刻師であった小倉吉蔵の弟「字母駒」をまねいた。1885年(明治18年)年に行書体活字の制作に着手したものの失敗に終わるが、1886年(明治19年)になって、あらためて著名な書家の久永其頴(多三郎)に版下の揮毫を依頼し、3、4年を費やして二号が、ついで五号活字が完成している。

 湯川梧窓(享)が版下を制作した南海堂行書体活字は、大阪の岡島活版所において製造されていたが、1903年(明治36年)に岡島氏の急逝により、岡島活版所が廃業するに際して中止となっていた。それを青山進行堂活版製造所が継承した。