活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

7 ひのもとのさかえ

東京築地活版製造所は1923年(大正10年)9月1日に首都圏を襲った関東大地震によって、社屋が倒壊炎上するなどのおおきな損害を受けた。この混乱もあって、東京築地活版製造所の活字書体は各社に流出した。

 活字母型そのものを販売する業者もあらわれ、印刷会社では活字母型業者から母型だけを購入して、活字の自家鋳造をすることが盛んになった。同時に大手の新聞社や印刷所では、とりわけ明朝体と組みあわせることを目的とした本文用和字書体で独自性を出すようになった。

 こうして三省堂、精興社をはじめ、ほかの大手印刷会社、大手新聞社、大手出版社でも独自の書体がつくられるようになった。

 1881年(明治14年)創業の三省堂は、最初は書店としてスタートしました。やがて出版事業を開始して、1895年(明治28年)には付属の印刷工場をもち、1921年(大正10年)にはベントン母型彫刻機を購入している。三省堂において、活字書体制作に主要な役割をはたしたのが今井直一(1896−1963)である。

1925年(大正14年)に精興社と改められた。自社の活字書体の制作にふみきったのは昭和初期で、種字彫刻は博文館印刷所の種字彫刻者だった君塚樹石に依頼した。

 写真植字では石井細明朝体と組み合わされている和字書体として、「ニュースタイル小がな」が1951年(昭和26年)に制作されている。1930年代—1940年代に制作された活字書体の雰囲気を醸し出している書体である。当時の時代性を取り込みながら、独自の感性に基づいた和字書体をつくりあげていったのだ。

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