活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

9-2 『中国古音学』(張世禄、1930年、商務印書館)

商務印書館(Commercial Press)は1897年(光緒23年)2月11日に、上海捷報館(China Gazette)の植字工だった夏瑞芳と鮑咸恩、上海美華書館ではたらいていた鮑咸昌と高鳳池が、北米長老会の牧師で当時の美華書館の責任者のジョージ・F・フィッチ(費啓鴻)の援助で設立した出版社である。商務印書館という社名には商業分野へ印刷を提供するという意識が反映されていた。

 1900年には日本人が経営していた修文書館の設備と技術を吸収し、大規模な印刷所へと成長した。さらには1903年、日本の四大教科書会社のひとつ金港堂社長・原亮三郎が投資して日中合資となった。日中合資は1914年まで11年間続いた。日中合資終了後も双方の友好関係は継続した。中国の古典の編纂は商務印書館の重要な事業のひとつであった。

 ところが1932年1月29日、日本軍が上海を空爆し、上海事変が勃発した。商務印書館にも爆弾が投下され、印刷工場、紙倉庫が爆破された。さらに商務印書館附属の東方図書館、編集翻訳所なども灰燼に帰した。東方図書館は当時中国最大の図書館だった。そして日中戦争が終結した1945年には商務印書館は壊滅状態にあった。

 1954年、商務印書館は上海から北京に移り、現在は中国、香港、シンガポール、マレーシアで経営をおこなっている。1948年にできた台湾の台北分館(支社)は、中華人民共和国の成立によって分離し、「台湾商務印書館」となった。1993年に印書館五地の合資で、「商務印書館国際有限公司」が設立された。

 

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『中国古音学』(張世禄、1930年、商務印書館)

 

国学小叢書』の編集主幹が王雲五(1888−1979)である。1912年に孫文の秘書となり、1920年には商務印書館編集翻訳所所長となっている。四角号碼検字法・中国図書統一分類法を発案したことでも知られている。

 1946年に国民政府経済部長、1948年には国民政府財政部長となっている。1951年に台湾に移り、考試院副院長・行政院副院長をつとめた。行政に参与し、財政と教育改革に尽力した。1964年には台湾商務印書館董事長になっている。

『中国古音学』は張世禄の著作で、1930年(民国19年)に 商務印書館から『国学小叢書』の一冊として刊行された。