活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

12 呉竹体(20世紀)

中国の書物においても本文は近代明朝体だが、見出しにはゴシック体が用いられている。
1930年代には「呉竹体」は見出し用として少しずつ定着していったようだ。『中国古音学』の本文は近代明朝体であるが、その表紙にはゴシック体が用いられている。

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『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)
商務印書館は当時の美華書館の責任者ジョージ・F・フィッチ(費啓鴻)の援助で設立した出版社である。1900年には日本人経営の修文書館の設備と技術を吸収した。日中合資となり、多くの書物が出版された。
『中国古音学』は張世禄の著作で、1930年(民国19年)に 商務印書館から『国学小叢書』の一冊として刊行された。『国学小叢書』の編集主幹が王雲五(1888−1979)である。

 


太平洋戦争後に出版された『瞿秋白文集』は縦組み繁体字の書物である。本文は近代明朝体だが、見出しに呉竹体が用いられている。字数は多くはないが、それでも全部をまとめれば、百文字以上の字種が抽出できる。

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瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)
瞿秋白(1899−1935)は中国の政治家・文学者である。江蘇省常州市の生まれで、現在その旧居が瞿秋白記念館になっている。1919年の五・四運動に参加した。モスクワに新聞記者として滞在し、帰国後、中国共産党中央委員などを歴任した。