活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の収穫祭』

01 ヴェネチアンローマン体

 

プレ・ローマン体

ルネサンス期のイタリアに、ドイツから印刷術を紹介したのはコンラード・スウェインハイム(?—1477)とアーノルド・パナルツ(?—1476)だった。ふたりはドイツのマインツにあったグーテンベルクの工房で働いていた印刷者である。

かれらは1464年にローマ郊外のスビアゴにある修道院にイタリアで最初の印刷所を設立した。ここではイタリアの読者にあわせて、ヒューマニストたちがもちいていた手書き文字をもとにして活字をつくった。

この活字はヒューマニストの印刷人に好んでもちられるようになった。ブラック・レター体からヴェネチアン・ローマン体へ移行する過渡期のものということで「プレ・ローマン体」といわれている。

ヴェネチアン・ローマン体

ヒューマニストがおおく集まり、印刷の需要が高まっていたヴェネチアに最初の印刷所を設立したのは、ドイツ人の兄弟ジョン・スピラ(?—1470)とウェンデリン・スピラ(?—1478)だった。

スピラ兄弟は、小文字に意図的なセリフをくわえて、大文字と小文字との調和をはかった。これにより手書き文字の模倣に過ぎなかったプレ・ローマン体から脱皮し、様式化されたヴェネチアン・ローマン体となった。

ヴェネチアン・ローマン体を完成させたのは、フランス人の印刷者ニコラ・ジェンソン(1420?—1481)であった。スピラ兄弟の活字書体よりも洗練されて読みやすい活字書体がジェンソンによって設計され、こんにちのローマン体の元祖とされるヴェネチアン・ローマン体が完成の域に達した。

ジェンソンは、1458年にマインツグーテンベルクのもとに派遣されている。この工房にどれくらいまで在籍していたのかは不明だが、1468年にはヴェネチアにいて、グーテンベルク工房の同僚であったスピラ兄弟のために活字をつくっていたとも推測されている。ジョン・スピラ没後、ジェンソンは商人から資金援助を受けて印刷工房を設立し、完成度の高い活字で印刷をはじめた。

このジェンソン活字は近代になって復刻され、アルバート・ブルース・ロジャースの「セントール」、ウィリアム・モリスの「ゴールデンタイプ」、モリス・フラー・ベントンの「クロイスター・オールドスタイル」、フレデリック・ガウディの「イタリアン・オールドスタイル」などがある。

また近年においては、ヘルマン・ツァップの「オウレリア」、ロバート・スリムバックの「アドビ・ジェンソン」がある。