活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

12 サン・セリフ体(後期)

第二次世界大戦前の様相

イギリスでは、エドワード・ジョンストン(1872—1944)がロンドン鉄道局のために1916年にデザインしたサイン用のサン・セリフ体をデザインしている。このサン・セリフ体は19世紀のサン・セリフ体とはことなり、インペリアル・キャピタルのプロポーションにもとづいた設計となっていた。

 ジョンストンを師とあおいでいた碑文彫刻家のエリック・ギル(1882—1940)がモノタイプ社のスタンリー・モリスン(1889—1967)に見いだされて、モノタイプ社のためにサン・セリフ体「ギル・サン (Gill Sans) 」を設計し、1928年に発表されている。

 ドイツでは、ドイツ工作連盟(ドイツ・ヴェルクブント)のメンバーだった、パウル・フリードリヒ・アウグスト・レンナー(1878—1948)による「フツーラ」と、ルドルフ・コッホ(1876—1934)による「カーベル」がある。パウル・レンナーの「フツーラ (Futura) 」は、バウワー活字鋳造所との共同作業によって1927年に発表された。フツーラは幾何学的な考え方で制作された書体で、この時代の近代化された時代的精神を反映していた。

 1917年にデオ・ファン・ドゥースブルフ(1882—1931)やピート・モンドリアン(1872—1944)によってオランダでおこった「ディ・スティル」の運動が、ドイツに飛び火して、1919年に「ワイマール国立バウハウス」が設立された。1925年からバウハウスの印刷工房の教師となったヘルベルト・バイヤー(1900—1985)は、大文字は権威的で時代の合理化にそぐわないとして、小文字だけで、しかも正円と直線で構成されたサン・セリフ体「ユニヴァーサル (Universal) 」を1925年に設計している。

 

第二次世界大戦後の様相

第二次世界大戦後になると、サン・セリフ体はスイス・スタイルのデザイナーの支持を集めた。幾何学的なサン・セリフ体は敬遠され、19世紀のふるい時代のサン・セリフが再使用されるようになっていった。バウワー活字鋳造所では1956年に「フォリオ (Folio) 」を発表している。

 1957年にスイスのハース活字鋳造所から発売された「ノイエ・ハース・グロテスク」は、同社のタイプ・デザイナーであったマックス・A・ミーディンガー(1910—1980)が再設計したもので、1960年にドイツのライノタイプ社の自動活字鋳植機に適応させられるのを契機に、ラテン語でスイスを意味する「ヘルヴェチカ (Helvetica) 」と改称した。

 1957年にフランスのドベルニ・アンド・ベイニョ活字鋳造所から発売された「ユニヴァース (Univers) 」は、タイプ・デザイナー、アドリアン・フルティガー(1928—2015)によって制作された。本文用での使用を目的としたユニヴァースはミディアム・ウエイトが基準にされた。文字形象にも伝統的なローマン体の概念が取り入れられており、ゆったりとしたレター・スペースをもっている。

 ユニヴァースは誕生から40年を経過し、活字メーカーによるアレンジによって原型を失っていった。フルティガーは1997年に、ユニヴァースを全面改刻して「ライノタイプ・ユニヴァース」として再生させた。ファミリーも59種類に展開されている。

 1958年にドイツのステンペル活字鋳造所から発売された「オプティマ (Optima) 」は、ドイツのタイプ・デザイナー、ヘルマン・ツァップ(1918—2015)によってデザインされた。ツァップはカリグラファー、ブック・デザイナーとしても高く評価されている。

 オプティマサン・セリフ体に分類されることが多い。しかしながら従来のサン・セリフ体とはことなっており、むしろローマン体を意図していた。したがって、あたらしいスタイルのジャンル「セリフレス・ローマン体」といったほうが適切かもしれない。

 ツァップは古代ローマルネッサンスの碑文や写本にもとづいた活字書体を数多く設計している。それらにはカリグラフィの巧みな技術と活字の歴史にたいする豊富な知識が生かされているのである。