活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

05 20世紀ローマン体

アメリ

リン・ボイド・ベントン(1844—1932)といえば、機械式活字父型(母型)彫刻機(略称ベントン彫刻機)の発明で知られているが、活字書体開発にも携わっている。その代表的な活字書体がテオドール・ロゥ・デ・ヴィネ(1828—1914)と共同で作った「センチュリー (Century) 」である。

デ・ヴィネはアメリカ活字版印刷業組合の初代会頭をつとめた人で、彼の経営するデ・ヴィネ・プレスは技術と品質のたかさで知られていた。センチュリーは、デ・ヴィネ・プレスが印刷していた雑誌『センチュリー・マガジン』のための専用書体としてデ・ヴィネが設計し、リン・ベントンがみずからの彫刻機をもちいて1895年に作られた。

デ・ヴィネによる最初の設計は10inch(約25cm)の大きさで描かれ、綿密な検討と修整が繰り返されたといわれている。その結果、モダン・ローマンから脱した「ニュー・トランジショナル・ローマン」に分類される活字書体になった。

センチュリーは、のちに膨大な数のセンチュリー・ファミリーへと展開されました。日本でも太平洋戦争前から英語教科書に使われ続けてきた書体であり、いまなお多様な媒体で綿々と使われ続けている。

アメリカ活字鋳造会社(ATF)の依頼によって、フレデリック・ウィリアム・ガウディ(1865—1947)が1915年に制作したのが「ガウディ・オールドスタイル (Goudy Oldstyle) である。のちにモリス・フラー・ベントン(1872—1948)によってファミリー化された。

1918年には書籍本文用の「ガウディ・モダン (Goudy Modern) 」が制作されている。モダン・ローマン系書体には直線的な硬さがあるが、この書体はガウディ独特の微妙な曲線で処理していることが評価された。

ガウディは百数十書体をたったひとりで制作した多作のタイプ・デザイナーとして知られている。彼の手がけた活字書体には共通する独特の雰囲気が感じられるが、そこには自分の理想とする活字書体への強いこだわりをうかがえる。

イギリス

イギリスを代表する新聞『ザ・タイムズ』は、1932年10月3日からまったくあたらしい活字書体「タイムズ・ニュー・ローマン (Times New Roman) 」を使用し、その印刷紙面を刷新した。この書体を設計したのがスタンリー・モリスン(1889—1967)である。タイムズ・ニュー・ローマンのモデルになったのは、モノタイプ社の「プランタン」だった。

この活字書体を新聞用活字組版システム「ライノタイプ」に適合させるために、モリスンはザ・タイムズ社と提携して書体開発をおこなった。モリスンがペンで下書きをしたものをザ・タイムズ社の職人のヴィクター・ラーデントがパターン原図を描いたといわれる。

1933年10月にタイムズ・ニュー・ローマンは、ザ・タイムズ社の独占使用を解除されて一般にも販売されることになった。また近年では膨大なフォントを備えたファミリーとして再生されている。

 ドイツ

1960年代とは凸版印刷からオフセット印刷へ、金属活字から写真活字へと移行する時代であった。ドイツの書籍印刷の業界団体「ドイツ高等印刷組合」では、手組み活字による植字法、ライノタイプ社とモノタイプ社の自動活字鋳造植字機のどちらでも同一の品質を維持でき、さらには写真植字機にも適応できるローマン体をという要望を実現するために、タイポグラファのヤン・チヒョルト(1902—1974)をタイプ・デザイナーとして起用した。こうして設計されたのが「サボン (Sabon) 」である。

チヒョルトは10ptの20倍(約7cm)の大きさで原図を描き、写真処理で縮小してパターンを作成し、ベントン彫刻機で活字母型を製作した。その作業にはモノタイプ社、ライノタイプ社、ステンペル活字鋳造所(手組み用担当)の技術者が従事していた。

チヒョルトが参考にしたのは『エゲノルフとバーナーの活字書体見本帳』にあったギャラモンの活字であった。チヒョルトは、ギャラモンの活字の行く末に大きくかかわった活字製作者ヤコブ・サボンから名前をつけた。サボンは20世紀を代表するオールド・スタイル・ローマンとしての評価を得ている。

2003年には、ライノタイプ・ライブラリー社から「プラチナ・コレクション」のひとつとして、ステンペル活字鋳造所(手組み用)のサボンが「ライノタイプ・サボン・ネクスト」として電子活字化されている。