活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

5 オールド・ローマン体(後期)

オランダ

17世紀のオランダを代表する活字父型彫刻師としてクリストフェル・ファン・ダイク(1601−1669)がいる。ファン・ダイクは、当時最高水準にあったアントワープのプランタン印刷所で、ギャラモン活字をしっかりと研究していたと推測されている。したがってフランチェスコ・グリフォからクロード・ギャラモンに継承されたオールド・ローマン体の流れを、ファン・ダイクが間接的にうけついだといえる。

 ファン・ダイクの活字は、その死後に活字鋳造所の資産を落札したダニエル・エルゼヴェルの未亡人によって発行された活字書体見本帳(1681年3月発行)によって、ひろく紹介されることとなった。

 ダニエル・エルゼヴェルの未亡人は、ファン・ダイクの活字をふくむ活字鋳造設備一式を1683年5月に、アムステルダムの印刷者エセフ・アシアスに売却した。その後も売却がくりかえされますが、結果的にはハーレムのエンスヘデ活字鋳造所にファン・ダイクの活字のすべてが伝わったのである。

 なおファン・ダイクを筆頭とするオランダのオールド・ローマン体は、独特の黒みや骨格の頑丈さをもっているために、現在では「ダッチ・オールド・ローマン」と呼ばれている。

イギリス

オールド・ローマン体はイタリアで生まれ、優美なフランス活字、武骨なオランダ活字へと地域的な変化を遂げながら、ついにはイギリスに到着した。

 ウィリアム・キャズロン(1692—1766)は20歳代のなかばから独立し、製本師ジョン・ワッツと印刷者ウイリアム・ボイヤーの援助を得て活字製作をはじめた。わずか数ヵ月後には独自の地位を固めて、その活字鋳造所をイギリスで最大規模にしている。

 当時のイギリスはオランダのローマン体が流行していた。キャズロン活字はアムステルダムの父型彫刻師ディルク・ヴォスケンスの活字をモデルにしたといわれるが、その武骨な特質を穏やかにして洗練さをくわえたことによって「イギリス風で快い」という称賛をえた。

 1734年にキャズロンは枚葉の活字書体見本帳を発行、さらに1738年にその再版が出版された。1763年には製本された最初の活字書体見本帳がキャズロン活字鋳造所から発行されている。この見本帳がキャズロン最晩年の仕事になった。