活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

3 イタリック体

チャンセリー・カーシヴはローマ教皇庁に勤める書記官が様式化したルネサンス期の書法である。チャンセリーとは教皇庁と教会とをむすぶ通信機関である「教皇庁尚書院」をさすことばで、カーシヴとは筆記体をあらわす。すなわちチャンセリー・カーシヴは書記官のインフォーマルの文書などにもちいられる通信用の筆記書体だった。

 別名「ヒューマニスト・イタリック・カーシヴ」ともいわれる。これはヒューマニスト・ミナスキュールをはやく書くために生まれた書体ということであり、のちにチャンセリー・カーシヴとして様式化された。

 チャンセリー・カーシヴは、のちにゆっくりと書かれる公式用のチャンセリー・フォルマータへと分岐していった。そのために本来のチャンセリー・カーシヴを、チャンセリー・バスタルダと呼んで明確に区別するようになった。

イタリア(アルディーノ)

ヒューマニストのあいだで流行していたチャンセリー・バスタルダを、はじめて金属活字として鋳造したのがヴェネチアの印刷人アルダス・マヌティウス(1449—1515)と、活字父型彫刻師フランチェスコ・グリフォ(1450?—1518?)だった。

 このチャンセリー・バスタルダ活字を、アルダス工房が本格的に書籍本文用の活字書体としてもちいたのは1501年に刊行されたローマ期の詩人ウェルギリウスの著作『作品集』においてのことだ。『作品集』は古典名作詩集を掲載する「八つ折古典シリーズ」として上梓され、ヒューマニストのあいだで評判になりました。そして「八つ折古典シリーズ」にしるされたチャンセリー・バスタルダ活字は、アルダス工房の活字「アルディーノ」と呼ばれた。

 なお、チャンセリー・バスタルダの最大の特徴である「筆記による傾斜」は小文字にだけ採用されて、大文字は直立したローマン体の伝統が受け継がれた。大文字が「筆記による傾斜」を取り入れるまでには、まだ四半世紀もの時間が必要であった。

イタリア(ヴィゼンチーノ)

16世紀には、手書き書法によるチャンセリー・バスタルダも様式化がすすめられて、この書法をもちいる能書家が数多く輩出された。その代表的人物が、イタリアのルドヴィコ・デリ・アリッギ(1490?—1527)である。

 アリッギは北イタリアのヴィゼンツァで生まれ、ローマ教皇庁の書記官になり、外交などの職務に携わるなかで書家としての技芸をみがいた。アリッギの書く筆記体は評判となり、アリッギは「ヴィゼンチーノ」と称されるようになった。

 アリッギは1522年にはじめての書法教科書『ラ・オペレーナ』をローマで刊行、翌1523年には2冊目の書法教科書『Il modo de temperare le penne』を出版した。この教科書の序文には、鋳造されたアリッギのチャンセリー・バスタルダ活字がもちいられた。

 活字版印刷に興味をもったアリッギは、1524年にローマで活字版印刷所を開設した。活字父型彫刻を担当したのは一流のメダル彫刻家だったラウティティウス・ペルシヌスであった。

 アリッギ印刷所ではじめて印刷された書物は、1524年のプロシウス・パラディウスのラテン語の詩集『コリチアーノ』だった。この『コリチアーノ』がアリッギの名声を決定づけ、チャンセリー・バスタルダ活字の頂点をしめすものだとされている。

フランス

アルダス・マヌティウスとルドヴィコ・デリ・アリッギのチャンセリー・バスタルダ活字がフランスにつたわると、チャンセリー・バスタルダ活字は、フランスにおいては「イタリアの」つまり「イタリック」と呼ばれるようになった。

 1528年から39年の間、パリの印刷人シモン・ド・コリーヌ(1470—1546)は活字父型彫刻師クロード・ギャラモン(1480?—1561)と協力し、アルダスやアリッギの活字の模刻と改刻をくりかえした。

 1540年代に入るとギャラモンをはじめとするパリの活字製作者たちは大文字を傾斜させるようになり、フランス語に適した文字形象として整えられた。その結果として、ローマン体活字に随伴する活字書体となっていったのである。

 このイタリック体活字を、さらに完成に導いた人物が活字製作者ロベール・グランジョン(1513—1589)である。パリに住んでいたグランジョンは、1547年になるとリヨンのグリフィウス印刷所に出入りするようになって、リヨンでもパリで整えられたイタリック体活字が導入されるようになった。

 さらに1557年にはリヨンに転居し、トーネス印刷所の活字製作を一手に引き受けた。また1566年にはアントワープのプランタン印刷所で活字製作をおこなうようになった。このようにしてグランジョンのイタリック体活字は、パリ、リヨン、アントワープへと伝わっていったのである。