活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

1 ブラック・レター体

テクストゥール(Textur)

10世紀から11世紀になると、アンシャル系のカロリンガ・ミナスキュールはラスティック・キャピタルと結合して様式化がすすんでいった。「ラスティック・カロリンガ」とよばれる過渡期の書体で、ブラック・レターとしての特徴が顕著になっていった。さらには各地の写字生によって、地域的な特徴がくわえられた。

 15世紀には、教会専用の公式書体「レットレ・フォルム(lettre de forme)」という先のとがった書体と、非公式書体の「レットレ・スンマ(lettre de somme)」という丸みを帯びた書体がうまれた。もうひとつはフランスの法令文書用書体の「レットレ・バタルダ(lettre de batarde)」という書体があらわれる。

 教会専用の公式書体「レットレ・フォルム」からは、のちに「テクストゥール」とよばれるブラック・レター体が誕生した。テクストゥールとは平織りの織り目の等しい布を意味している。テクストゥールには、ドイツ型、オランダ型、フランス型の3種類があるが、いずれも文字幅が狭く、垂直で角張っている。

 はじめての印刷用金属活字になったのが、ドイツ型のテクストゥールである。ヨハン・グーテンベルクが製作した金属活字は、当時の写字生が書いていたテクストゥールをモデルにしたもので、グーテンベルクの手がけた印刷物の代名詞とされる『42行聖書』にも使用されている。

ロトンダ(Rotunda)

イタリアにつたわった「レットレ・スンマ」系の書体がロトンダである。テクストゥールが簡素化されて丸くなったもので、後述するシュバーバヒャーとの過渡期書体ともいわれる。また、丸ゴシック体ともいわれイタリアで発達した。アセンダーとディセンダーがみじかく、文字幅がやや広めの書体である。

 金属活字の「ロトンダ」はヴェネチアのエアハルト・ラットルド(1447—1528)が発行した活字書体見本帳(1486)に掲載されている。ラテン語に調和するので、ニュルンベルクのアントン・コーベルガー(1440—1513)による『ニュルンベルク年代記』のラテン語版(1492)にも使用されている。

 ロトンダ活字の影響はイタリアからフランス、スペインにまで及び、17世紀まで使われ続けた。しかしながら、北部ヨーロッパではほとんど使われなかった。ラテン語とことなり、北部ヨーロッパの言語においては普遍的な書体ではなかったからであろう。

フラクトゥール(Fraktur)

「レットレ・バタルダ」を原型にしてうまれたのがシュバーバヒャーとフラクトゥールである。テクストゥールがすべて垂直なのにたいして、シュバーバヒャーは文字の両端が丸くてアセンダーの上端がとがっている書体だ。またフラクトゥールは文字の片側が丸くて、もういっぽうが垂直になっているのが特徴である。

 金属活字の「シュバーバヒャー」は、1470年以降にはあらわれている。本文用活字書体にシュバーバヒャーがもちいられた書物に、マインツのペーター・シェッファー(?—1502)の印刷物(1485)や、『ニュルンベルク年代記』ドイツ語版(1493)がある。1490年から1540年のあいだにはシュバーバヒャーの金属活字はドイツでもっとも人気のある書体であった。

 16世紀前半になると、印刷人ヨハン・ニュードルファ(1497—1563)と活字父型彫刻師ヒエロニムス・アンドレアによって、シュバーバヒャー活字から派生した金属活字の「フラクトゥール」が誕生します。それ以後は、フラクトゥール活字がドイツを代表するブラック・レター体とされ、シュバーバヒャー活字は補助的な扱いになった。フラクトゥール活字は画家アルプレヒト・デューラーの理論書(1526)に使用されている。