活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

はじめに キャピタルとミナスキュール

インペリアル・キャピタル(Imperial capital)

ローマ帝国の碑文書体

ローマ帝国は、紀元前8世紀ごろ、ラテン人がイタリア半島のテベレ川下流域に建てた古代都市国家にはじまる。紀元前272年イタリア半島を統一し、ポエニ戦争に勝利して地中海沿岸一帯を支配したが、そののちも内乱がつづいた。この内乱を収拾したオクタビアヌスの即位により帝政に移行した。 

 最盛期の五賢帝時代(96−180)には、その版図は最大となり、東は小アジア、西はイベリア半島、南はアフリカの地中海沿岸、北はブリテン島に及ぶ大帝国となった。五賢帝とは、ネルヴァ、トラヤヌスハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスの5人で、その代表格とされるのがトラヤヌス帝である。

 マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(Marcus Ulpius Trajanus 53—117)は古代ローマ皇帝(在位98—117)となり、元老院と協調して内政を安定させるとともに、対外進出をはかってアルメニアアッシリアメソポタミアなどを征服、在位中にローマ帝国の版図を最大にした。

 トラヤヌス帝の初仕事はダキアルーマニア)征伐であった。その勝利を記念するモニュメントとして企画され、のちにトラヤヌス帝の墓所となった44mの記念碑が、ローマ市街地の中心地、フォロ・ロマーノ地区にある。この大円柱の基壇部に設置されている碑文が、インペリアル・キャピタル(帝国の大文字)のシンボリック的な存在となっている。

 インペリアル・キャピタルの筆記体として、写字生や著述家が好んだ書体がラスティック・キャピタルである。このラスティック・キャピタルは1世紀前半から5世紀後半までの間に、詩人ヴェルギリウス・ロマーヌス(前70—前19)の『エクローガ』(5世紀後半)など、格式の高い写本に多く使われている。

 

カロリンガ・ミナスキュール(Carolingian minuscule)

フランク王国の写本書体

フランク王国は、フランク族が西ヨーロッパに建てた王国である。五世紀末、クロビスがフランク族を統一し、481年メロビング朝を興して建国した。そののちも分裂・統一をくり返したが、751年、ピピン三世がカロリンガ朝を創始した。ピピン三世の子カール一世の時に最盛期を迎えた。

 カール・デア・グローセ(Karl der Grosse 742—814)はフランク王国カロリンガ朝の国王(在位 768—814)である。ちなみにフランス語ではシャルルマーニュ(Charlemagne)、英語ではチャールズ・ザ・グレート(Charles the Great)と呼ぶ。版図を大幅に拡大しゲルマン諸部族を統合、教皇より西ローマ皇帝(在位 800—814)を戴冠した。国王から大帝となったのである。

 カール大帝は中央集権をめざして法制を整備する一方、ヨーロッパ中から学者をあつめて学芸を振興した。この文化の隆盛を歴史家たちはカロリンガ・ルネサンスとよんでいる。この時代において羊皮紙は高価だったにもかかわらず書物の需要は高かった。大帝はヨークから高僧アルクイン・ヴォン・ヨーク(735—804)をまねき、トゥールの大修道院長に抜擢した。

 アルクインは修道院内に写本室を開設し、後期ローマ時代のアンシャルを小文字にしたハーフ・アンシャルをアレンジしてあたらしい書体を考案した。これがカロリンガ・ミナスキュール(カロリンガ朝の小文字)である。