活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

9-2『啓蒙手習之文』(慶応義塾、1871年)

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『啓蒙手習之文』(慶応義塾、1871年)

内田嘉一(晋斎、1846—1899)は、1868年(慶応4)閏4月15日に慶応義塾に入門し、そこで福沢諭吉の信頼を得て、福沢の著書の版下を依頼されるようになった。

 福沢は1871年(明治4年)の初夏には『啓蒙手習之文』(慶応義塾出板)を刊行した。巻菱湖書風で書かれた内田の書は、諭吉が提唱する「文字は分明でありたい」という考えを実践したものであった。

 『啓蒙手習之文』には、ひらがなのいろは48字が一ページに2文字ずつ大きく書かれ、つぎにカタカナのイロハ48字が1ページにまとめて書かれている。

 書方手本ということで、毛筆の特徴を生かした平明なふでづかいになっている。書写されたものがそのままあらわれているので、軽くて軟らかい印象を受ける。緩急——筆を速く運ぶところと、ゆっくりと運ぶところ——の差がはっきりとしており、それが極端に細くなっているところと、太さをしっかりと保っているところとにあらわれている。

 

活字書体「ふみてM」

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