活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

6 ひのもとのいぶき

長崎製鉄所主任だった本木昌造は、ウィリアム・ガンブルを活版伝習所の技師長として招聘した。ここでは活字鋳造法と活字版印刷術全般にわたる技術を伝授した。これがわが国の活字版印刷術の基礎となった。

 まもなく長崎製鉄所付属活版伝習所は解散し、その源流は二派に分かれた。ひとつは本木昌造の流れを汲む門人達によって全国に覇をとなえた一派で、その代表が東京築地活版製造所である。

 他のひとつは製鉄所にとどまって活字製作に従事した人達で、のちに工部省勧工寮活版所となり、幾多の変遷をへて官業活版の源流を受け継いだのが内閣印刷局(現在の国立印刷局)である。

 これらの和字書体に共通するのは、「ひのもとのめばえ」(ドーンスタイル)がもっていた彫刻風の荒々しさが少なくなり、丸みを帯びた動きのある書風にと変化しているということだ。これを「ひのもとのいぶき」(オールドスタイル)とする。

 東京築地活版製造所と並び称せられるのが秀英舎鋳造部製文堂である。1882年(明治15年)東京築地活版製造所から小倉吉蔵を招いて製文堂を創設して活字の製造販売に進出した。秀英舎は、1935年(昭和10年)に日清印刷と合併して大日本印刷となった。

 青山進行堂活版製造所は東京築地活版製造所系統の活字書体を継承していたと思われる。国光社は吉田晩稼が版下を書いたといわれる独自の活字書体を開発している。

 これらの和字書体もまた、丸みを帯びた動きのある「ひのもとのいぶき」(オールドスタイル)である。

 写真植字の石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは1933年(昭和8年)に発売された書体で、のちに「オールドスタイル小がな」と呼ばれることになる。 当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたようだ。

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