活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

9 近代明朝体

中国・清王朝アヘン戦争前と、アヘン戦争後に分けられる。アヘン戦争とは、1840年から1842年にかけ、清国のアヘン輸入禁止によってイギリスと清との間に起こった戦争である。清は大きく敗北して南京条約を結び、香港を割譲したほか、広州・福州・厦門(アモイ)・寧波(ニンポー)・上海を開港した。

 アヘン戦争前は、康煕帝雍正帝乾隆帝までの三代をピークとして栄えていたが、アヘン戦争後からどんどん没落していった。その時代に力を持っていたのが西太后〔せいたいこう〕(1835—1908)である。

 西太后は咸豊帝の妃で、同治帝の生母である。同治帝・光緒帝(1862—1908)の摂政となって政治を独占した。変法自強運動を弾圧し、義和団事件を利用して列強に宣戦するなど守旧派の中心となった。

「近代明朝体」活字は、19世紀前半に上海や香港にあったロンドン伝道会と北米長老会によって製作された。

 ロンドン伝道会の印刷所である上海・墨海書館と香港・英華書院で使用された活字は、ヨーロッパで活字母型が製造されたものだそうだ。さらには北米長老会の印刷所であった上海・美華書館において木製種字と電鋳母型という活字製造法が考案された。

 北米長老会印刷所は「華英校書房」として1844年にマカオに設立された。1845年からの寧波での「華花聖経書房」を経て、1860年に上海へ進出したとき「美華書館」と改称されている。