活字書体設計1

[活字書体をつむぐ]日本・中国・欧米の書写と印刷の歴史に育まれた書体をまとめています。

8 過渡期明朝体

紫禁城(故宮)は、北京にある世界最大級の宮殿の遺構である。現在は、博物館(故宮博物院)になっており、世界文化遺産文化遺産)に登録されている。

 故宮博物院の西南部に位置する武英殿は、2005年10月から見学できるようになった。歴代の絵画、書、古籍・善本を展示する場として再び一般公開されている。

 武英殿は明代初めに創建された。明代には皇帝の斎戒や大臣接見の場となり、清代には御用絵師のアトリエになっていた。清代の1680年(康煕19年)以降、皇室の書籍編纂の場となり、最も多い時には、1,000人以上の文人がここで書籍の編纂に取り組んだ。

 清の康煕帝雍正帝乾隆帝の時代に、武英殿および民間出版社によって銅活字や木活字で刊行された書物にあらわれている書体は、明代の刊本字様である「明朝体」と清代後期の「近代明朝体」との過渡期にあたるので、これらを「過渡期明朝体」ということにする。

武英殿刊本(官刻本)

武英殿刊本(殿版)とは、中央官庁で刊刻された一種の官刊本である。明・清を通じて一般的には内府刊本と呼ぶが、その中でも特に清朝にいたって皇帝の勅命により、宮中の武英殿修書処で刊刻されたものが、武英殿刊本(殿版)である。

 活字版印刷法による代表的なものとしては、雍正帝の時に銅活字を用いて印刷した『古今図書集成』や、乾隆帝時代の木活字による『聚珍版叢書』等が知られており、殿版と言えば清初のものをさすことが多い。

坊刻本

清代において一般庶民に向けた実用書、読み物などは、営利を目的とした書坊が担っていた。その中心地は杭州・南京などの江南地方と、首都の北京に集中していた。北京では全般的な品質はそれほど高くはなかったが、萃文書屋の『紅楼夢』(1791年)は、坊刻本のなかの佳作といわれている。

『武英殿聚珍版程式』によって活字版印刷法が世に紹介されて以来、活字版印刷法による出版は14の省都でも盛んに行われるようになった。その内容も多岐にわたっており、伝存する清代木活字本はおよそ2,000種といわれている。

 活字版印刷が各地で盛行したのは、冊数が多いものであっても印刷部数は100部未満のごく少数だったことがあげられる。すなわち木活字による活字版印刷は、少部数の印刷に適した方法だったのである。