活字書体をつむぐ

Blog版『活字書体の総目録』

10B 隷書体

漢は、中国古代の王朝である。前202年、高祖劉邦〔りゅうほう〕が建国した。長安を都とする西漢(前202—8)と洛陽を都とする東漢(25—220)とに分かれる。両者の間に、王莽〔おうもう〕が建国した新による中断がある。

隷書体という名称は、秦時代の公式書体である小篆に隷属する、日常通行書体という意味である。隷書の「隷」という字は、「捕まえる」という意味の文字と「繋ぐ」という意味の文字を合わせた会意文字で、「付く」とか「従う」という意味で用いられるようになった。

漢代には篆書が衰え、実用に便利な隷書が勢力をえた。隷書は秦代には補助的につかわれていたが、漢の公式書体となった。西漢では古隷と八分がともにつかわれたが、東漢では八分が発達して全盛期をむかえた。

古隷は、西漢の時代に多く見られ、今でいう篆書と隷書の中間の書体である。波磔が明確ではなく素朴だ。八分は、「八の字」のように左右にのびる特徴をもっている。現在の隷書体は八分から発展したものだ。章草は八分が省略されて草書が生まれる過程で、草書に八分のスタイルを残したものである。東漢の章帝が好んだことから章草と呼ばれるようになった。

書法芸術(書道)においては、「礼器碑」(156年)、「曹全碑」(185年)、「張遷碑」(186年)などが古くから高く評価されている。とりわけ「礼器碑」が第一とされ、書家・中村不折も「隷書八分の帝王である」との賛辞を贈っているほどである。

「熹平石経」は、西安碑林博物館の第3室には「嘉平石経」の「易経周易)」の残石が展示されている。ほかに京都の藤井斉成会有鄰館に「儀礼」の残石が、台湾の歴史博物館には「春秋公羊伝」の残石が展示されている。

刊本字様としての隷書体は、清代刊本の牌記などに見られる。牌記とは、古代書籍の扉或いは巻末にある枠の付いている題識文字を指し、牌、書牌、木記とも称す。牌記は宋代以降の書籍刻印に広範に使われている。